Bluesoup
Yangon Myanmar
2009
自称ケニア系ミャンマー人、ミスター ジョジョは22才。サイカーのドライバーで、いいやつ。
いつもおれのためにホテルの前で待ってます。
美大時代にそっくりなやつがいて、最初に見たときにひとりでウケてしまった。
おまえはハンサムだと言うと、おまえもスマイルがいいからハンサムだと言われた。おせじでもありがとう。
彼の実家はバガンの近くの農家。ひとりでマンダレーに出稼ぎにきている。
農業は大変だというから、サイカーだって大変だろうと言うと、現金になるからという。
その稼いだ金で4人いる兄弟と47才の父、一昨年41才で出産した母を食わせている。
ジョジョにはここマンダレーの近くに住むガールフレンドがいた。
3年間アイラブユーを続けたが、2年間体に触らせてもらえなかった。
結婚は相手の両親に金がないという理由で反対され、結局フラれてしまった。
そんなことをバネにいま彼はがんばっている。
いつでもピカピカの彼のサイカーは、日本製のホイールが自慢。
モトを買って、クルマを買って、モテるのが夢だ。
がんばれジョジョ!
ミャンマーでは僧侶の地位は別格。僧もいろいろで、なかにはタバコを吸ったりビンロウをやる僧侶もいます。
ビンロウについてはお行儀が悪いんで、ここでは割愛。
ここの仏教は戒律の厳しさで有名だそうで、観光地などでは時々、手を繋いで仲良さそうに歩いてる僧たちもいます。
私たちは忘れちゃいけません。去年、反政府に立ち上がった彼らの勇気を。
市街で偉い僧侶の説法が大音響で流れてます。ありがたい説法CDやDVDの専門店。Soクール
冷水屋。見ての通り布で氷を漉すだけのシンプルシステム。
暑いからついつい飲みたくなるけどちょっと無理。
日本にもいそうなマーケットのシャンバッグ屋の親切なあんちゃん。
と、そのダチたち。
昼間からたむろってる兄さんたちが多い。
去年のハリケーンで外国人が減って、いまミャンマーはとてもプアだと言います。
軍事政権のことは誰も口にしません(通報されるから)。ところどころにいるのはアーミーではなくミリタリーポリス。
銃の構え方は近く、ラオスのように体から離して地面にポンと置いて、のんきにお茶してたりは絶対にしません。
ミャンマー人は反骨らしく、イギリスから独立したときにわざと道を右側通行に変えたと言ってました。
クルマは日本車だから右側通行の右ハンドルがミャンマー流。追い越しなんか超怖い。
結婚式発見。ご祝儀係もちゃんといてけっこう賑やかしい。
おれを尾行してきたボーイズ。
兄弟?
マーケットでトウガラシやスパイスゾーンに入ると目と鼻が辛い!
ココナツの実をむしって食ってた明るくかわいい物乞いボーイズ
気が遠くなりそうなマンダレーヒルの階段。
頂上まではレーベー(荷台に乗るトラックタクシー)とエレベーターを乗り継いでイージーに行けるんだけど、
ここはヒルクライマーとして自力でアタック。裸足でひたすら40分近く登り続けます。
頭の中ではMISIAの「裸足の季節」がぐるぐる廻り続けてます。
階段の途中にはいくつか踊り場があって、それぞれに大きな仏さまがいて、そのたびに参道が交差して行き先がわからなくなりかけるころ、
ほどよくおじいとかがが座っていて頂上への正しい方向を教えてくれます。
この子は参道途中に住んでる子。ヒモの先には小さなバケツがついていて、バケツを下ろす上げるを繰り返す不思議な遊びをしてました。
そういえば同じ動きを市街でもよく見ます。お昼ころ、気温の高い時間に井戸の周りはお風呂タイム。
ヒモのついたバケツで井戸水を汲んで大人たちは体を洗ってます。ごしごしごし
階段を下りてくると、日本人かと声をかけられる。そうだというと、日本人のお墓があると言う。
それならお参りしたいというと参道脇に案内された。
登ってくるときには気付かなかったその石碑には、漢字でビルマ方面戦没者とあります。
ホウキを持ってたから墓守かもと思い、こころ付けを渡すと火をつけた線香をたくさんもってきてくれた。
デートスポットでもあるマンダレーヒルはミャンマーの湘南平。
カップルは階段の途中にいきなりあるこのおサイケな場所で記念写真を撮るらしい。
上りも下りもひたすら階段。階段。階段・・・
まわりはひたすら平地
日本の中古車、というよりクラシックカーが普通に現役。
サニトラなんかは日本の退役サニトラが全部マンダレーにあるんじゃないかと思えるほど走ってます。ノスタルジック。
マンダレーヒルまで世話になった運ちゃん。
裸足で運転する愛車はマツダミゼット四輪タイプ。軽タクのメイン車種です。
消防車だって
カナチューも発見!
高校の時乗ってたぞ!
ちゃりのセッティングを終えたマイメカニック。家族ぐるみでやたら明るく親切なレンタルちゃり屋のファミリー。
レンちゃりはぜんぶギアなしママちゃり。平地しかないからギアはいらないのだ。
ディレクターのおじいとマイメカニックたち。もうすぐセット完了。
この重量級のママチャリで40kmは走った。
基本、明るく親切なミャンマー人。レンタルバイク屋の場所を丁寧に教えてくれた男の子のような女の子とそのお友だち。
息できない。深呼吸無理。
停電対策の自家発電の排気もすごくて、ここに比べたらハノイの空気でさえきれいに思えてしまうのだ。
街の西を流れるエヤワディー川沿い。
街中とくらべて若干荒っぽい。
生活を乗せて手漕ぎ船が行く。乾期の終わりの今でも川の水量は多い。この船でこの流れを遡る。おそるべき操船技術とマンパワー。
市街をはずれると馬車や牛車が増えてきます。
レンタルチャリでアマラプラからマンダレーまでの帰り道、チャットを使い果たし、ドルが使えず飲み物も買えず、食い物も食えない。
市街を離れると地図もないからパーソナルGPSが頼りだったのだが、その電池も残りわずか。
やっとの思いで見つけた乾電池もドルでは売ってもらえない。
のどカラカラ、腹ペコペコ、迷子寸前のまま、ようやく市街近くまで戻ってきて涼しそうな裏道に入ると「こころ」という日本語が目に入る。
こころ?小さくそう看板に書いてある。
若い子の多いおしゃれな店だったので、とりあえず入ってみてドルでなにか食えるか?と聞くと、なぜか日本語でコンニチワ!
えっ?「あ、こんにちわ!」
アジアの人はよく日本人を見分けます。
結果、ドルは使えなかったけど日本びいきのオーナー、ミスター トゥイのおかげで飲み物と食べ物をいただくことができました。
アマラブラまでチャリで行ってきたと言ったら驚いてた。
聞くと日本の厨房で5年も働いてたそうで、そのおかげでここに店を出すことができた。だから日本人には感謝しているという。
銀行が閉まっていて、明日は日曜だし、外貨両替できなくてちょっと困ってるというと、
近くにあるという両替のできるツーリストオフィスまでモトの後ろに乗せて連れていってくれた。
ほんとにありがとうございます。助かりました。
彼はピンウーリンというところに家があって、こんど来たときに遊びにこいと言われた。ミャンマー人はホント親切だ。
職業を聞かれ、デザイナーだと言うと奥から自分でデザインしたという看板を持ち出してきて見てくれという。
デザインが趣味だという彼はこの店のいろんなものをデザインしてるそう。
彼にお願いされた。もし、またマンダレーに来ることがあれば買ってきてほしいものがあるという。
それはオムロン製の電流で肩とかをピクピクさせるパルス肩モミ機の小さなパーツ。
お安い御用で。帰ったら探して発送します。
こころカフェのエビのせフライドライス。うまい!
奥は川魚のダシでつくったというスープ。
基本的に油っこいミャンマー料理に抵抗しはじめた胃にやさしいあっさり味です。
こちらはジョジョおすすめのカレー屋のチキンカレー。量が無理。食いきれるわけない。
あとでジョジョに聞くと、普通はシェアして食うものらしい。
ミャンマー料理の味付けは基本しょっぱい。
店のちょっとだけ英語の出来る子はコールドとホットを逆に覚えているらしく、熱い茶を注ぎ続ける。そのお茶は買って帰ろうかと思うほどおいしかった。
人種も多く、夕方近くになると、回教徒が集団で練り歩いてたりで、なかなかエキゾチック。
僧侶、ピンクの尼僧、キリスト教シスター、おひげのイスラム教徒とヒンドゥー教徒が同じ視野にいたりします。
ヒンドゥー教徒は確実におれの腕のタトゥーに釘付けになります。なんでオマエが?って感じで、何度隠そうかと思ったことか。
ミャンマー人のタトゥー率。結構高いです。エスニック、トライバルから中華系、英語やイニシャルまでなんでもありです。
マンダレーのベストグラフィックはコイツだ!
何をやらかしたのかはわからないが、よくいる顔だし、これでは何十人も捕まってしまうに違いない!
けっこうな確率でいろんな広告に登場するコイツ。ダチに似てるやつがいて、ミャンマーまで来て、いちいちそいつを思い出してしまうのだ。
市街でも、基本電灯がないから暗くなってからの外出はちょっと心細い。
信号もないし、飛ばしてる車も多い。ベトナムのモトは最初にクラクションが壊れると言うけど、ここも同じだ。
朝と夕方、道を渡るのはホーチミンの3倍くらい難しい。
いちどチャリ同士が目の前で思いっきりクラッシュしておれもギリギリ突っ込みそうになった。今日はおばばのモトが事故ってた。
そんな道をおれを乗せた無灯火のジョジョは、まさに絶妙のタイミングで横切ります。正直怖い。